私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

SYNODOSが面白い

今月の中ごろに登録して今日ようやくメールを見た。

無料記事の方はほぼ毎日更新されており、過去の記事など一つのテーマで関連づけられておりそっちはよく見ていた。

500円ばかし払って購読したが、これがまた面白い。

毎号一つのテーマをあげて関連する話を3~4人の話し手から展開される。

購読しなければ意識することのない少数派や知識の及ばないところへいざなう感じがうたい文句にあった

『各領域の最前線に立つ論者たちから現代を読み解くための「知」』を存分に感じることができた。

今回読んだのは149番『薬物をめぐって』と150番『もうひとつの声』であった(初回は登録した号とその一つ前が届く)。

『薬物をめぐって』は知ってそうで知らない薬物について現状、過去、低強度紛争規模に拡大したメキシコ、規制のあり方、依存症の理解と援助を簡潔かつ濃密に書いてくださっている。

『もうひとつの声』では手話とろう者が社会においてどのように差別されて彼らの言葉を否定されていたかを描き出している。

特に読んでいて印象に残ったのはろう者と聴者との関係が理解する以前に話ができないというところだ。

自分もそうであるが、基本的に弱者に対する援助には相互理解ができるという前提の上で話が進んでいるように思われる。

しかし毎回思わされるが一方通行であったり、そもそも立場が隔絶しているため理解以前の状態であったりすることが多いという事実である。

いかに健常者が意識を払っていないかがわかる話だと思う。

こういった予期せぬ知識や衝撃を毎月2回読めることは情報の少ない会社員には助かる。

こういったメディアがどんどん成長してくれることを期待したい。