私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

婚活の愚痴

婚活をしていて思うことがいくつかある。

婚活アドバイザー存在などが現在の婚活における各種サービスというものと、実際の婚活を行っている人間のスキルに対して適切なアプローチができてるとは言い難い現状がある。

その原因の一つは婚活をする人間が バリエーションにとんでいることもあげられる。

均一化したサービスを行うにあたって企業は低い人間の底上げをすることに対して重点を置くことになり、社会人として最低限必要とされる身だしなみやスキルやトークといったスキルを向上させることに重点を置くことになる。

最低限の身だしなみを整えることもできない人間が婚活市場に参入する一方で、すでにできている人は自らのファッションスキル等を高めている人間にとって不要なサービスとなる。

そういう普通な人にとって婚活をしていくうえにおいて婚活アドバイザーという人たちやサイト運営にとって明確な支援ができていない現状がある。

基本的に総当たり方式であり、あった人と合わなかった人を見分けたりするシステムはない。

フィードバックがないまま数多くの人間とあい、そして数多くの人からダメ出しをうける婚活疲れという現象は広く認知されるところとなった。

こういった現状を改善するにはもはや現状では改善が難しい。

いっそうのこと星占いや星座占いといった神に頼るようなものによって婚活をすることが最適なような気がする。

人がいつ出会ったり、親密になることはわからない。

これには運が必要となる。

当然その人にもっている運や運命などは目に見えない。

神の見えざる手によって動かされている部分があることは否定できない。

このアプローチは婚活業者にとって望ましいものではない。

婚活乗車にとっては短く成婚退会してもらうことは重要なことではある。

しかし太い客を引き止めておくことも重要である。

常にその企業を利用してもらうことが婚活業者にとって重要なのだ。

これが最善である以上特に大手は野放しな状態になる。

自分自身の婚活の状況を思うに、去年と違い今年はかなり多くの人とを出会うことができた。

そして有益な情報や気づきをえることができた。

流れが確実に良い方向へと変化していることを感じている。

それは自分の星占いの結果であり、今後3年間家庭を作るにあたって最善な年である。

多くの人がいつ終わるともしれない婚活にかなり神経を注いでいる。

労力や時間と金銭面において多くの負担を強いられながらもやっていることは総当たりでしかない。

この現状は21世紀において昭和のような非効率性の塊でもある。

 

医療業界等においてIAが使われつつある。

実験的にIAが患者を診断し、その結果は時として医師の診断結果を上回る結果をもたらしている。

現在婚活において入会時にいくつかの質問に答えることによって、利用者がどんな人と会うかという方式が取られている。

これをさらに発展させ、IAに引き継ぐことによって明確な結果が得られるだろう。

それは明確にこの人と合うという結果として現れる。

それは本人にとっていい結果であるかはわからない。

だが婚活を始めるにあたって多くの人は希望を持って参加する。

そのため理想を高く持つ傾向がある。

相手を選ぶという行為自体に婚活の難しさがある。

誰がいいか、わるいかをたった数時間で決めることほど難しいことはない。

最初は30分1時間の面談で評価され、一回~三回あってく中で評価され続ける。

そのような短時間で相手の何がわかるのだろうか。

まして相手を評価する際にはどうしてもマイナス面が強調される。

評価をされている場面でミスをせずに好意的な行動ができる人物は非常に少ない。

もはやサイコロを振ったほうがいい結果が得られるかもしれない。

30分程度の面談で相手のことがわからない以上、入会時における質問の回答によってIAが自動的に選別するほうが確率があがる。

それは「よりよい結婚」という婚活の最終目標に到達できる。

これは婚活業者にとっても顧客満足度の増加に繋がる。

また良い結婚をしたという評判は顧客を増やすネタとなる。

早期退会により継続費用を稼ぐことは難しくなる。

しかし管理費の圧縮やアドバイザーの不要化、完全に少人数の運用が可能となり、店舗を保つ必要もなくなるかもしれない。

そうなると巷にあふれている婚活サイトと一緒になる。

しかしアプリと同列に並んだとしてもアプリ会社は得体のしれないものであり、信用度においては店舗を持っていた大手が有利となる。

婚活産業が信頼性を重視される業界である以上、大手が店舗を廃してサイトに特化したというニュースは新規顧客にとって安心して利用できる。

婚活アドバイザーの位置づけが不透明であり、人によって質のばらつきがあり、利用者の結果に対する評価やアドバイスの仕方というものも一定ではない。

これは人間同士である以上評価がブレるのは当然である。

そして定量化し、数値化することの難しさに拍車をかけている。

このようなぬるま湯につかったいかにも昭和的な業界である。

そのため大金を投じて利用者は報われることがない。

運の要素もあるが、IAによって婚活市場が明るくなることは想像にかたくない。

人間の出会いというものを機械によって行うことの心理的な抵抗感は非常に大きいものと予想される。

とはいえ元来出会いというものは神の見えざる手によって行われているのである。

それは人は本来介入する余地が小さいものである。

昭和においては会社の上司や世話好きな親類や近所の人が婚活業者の代行を務めていた。

現在では婚活業者によって行われている

とはいえ大事なことは相手を紹介することであり、気のあった人と結婚というゴールに向かって進むことこれがどの婚活の形態をとったとしても大事なことである。

今後IAによってさまざまな分野に浸透し、豊かな社会を創造するだろう。

そのような中においてIAを導入せず、人同士の関わりを重視するような経営は危うくなるだろう。

婚活の成婚率は10%といわれている。

この数字はあまりにも低い結果であるが、総当たりである以上この数字を上げることは難しい。

なにより利用者自身の婚活に対する知識や意欲の差等によって、本来合っているというような人同士が結びつかないということも現れるからだ。

よりよい高い目標や大金を投じたことにより判断能力がおかしくなる。

主観に基づく選択でしかない。

たかだか10時間に満たないような出会いで結婚をしなければならないという状況が普通の状態ではない。

これは極めて異常であり、この方法自体も異常である。

それをIAを利用することで少しでも確率をあげられるというのであれば、婚活業界においてターニングポイントなる。

金融業界においてお金が動いている以上、人がかかわらなければならないと思われている業界においてもIAによる自動売買が行われている。

そしてトレーダーよりも多くの資金を運用したり、成果を上げてもいる。

どちらかがいいということではなく、両方できれば一番望ましい。

しかし婚活業界はあまりにも知識と経験というものに重点を置きすぎている。

経験に基づきアドバイスをするという行為自体が、アドバイザーによってアドバイスの方法が変化する。

人間同士である以上、合う合わないということもありこういった部分も含めて運の要素が強すぎる。

何十万という金額を投入し得られるサービスと結果があまりにも伴っていない。

初期投資で20万~30万という成婚退会をすぐにしたとしてかかってしまう。

この金額は安い中古車が買えてしまう金額であり、一ヶ月の給与分を払っていることにもなる。

このような膨大な金額を投じて得られるリターンの少なさには呆れるばかりである。

なにより婚活業界における実際の成婚退会者数は10%いっているかも怪しいのだ。

多くの企業は在籍者数と何人成婚退会したかという数字を出すとこは少ない。

どちらか一方か、自ら作った数字を公表しているにすぎないのだ。

これでは比較検討もできない。

利用者に対して不備を強いて、利益を上げることのみに血なまこになっているような業界であり腐っている。

綺麗事を述べているが実際は薄汚いろくでなしがはびこっている。

そのような業界であるが、登録してくる人はよくいえば擦れてない人が多いのかもしれない。

婚活アドバイザーの言う通りに行動し金をさらに巻き上げられる。

何かのセミナーに参加したり、自分磨きをしたり大して面白く思っていない趣味サークルに参加する人もいるだろう。

方法はまちまちではあるが婚活だけに頼らない方法を取らざる負えない。

時間と労力と資金がガリガリ削れていき、さらに仕事をしている。

いっそうの事ディストピアの世界のようなIAによってどの人が結婚するかを予め決定しておくおさなごのような制度のほうがマシな気がしてくる。

しかし現代日本は民主主義国家であり、結婚相手は自由に選択できる社会である。

それはいい結果をもたらす人間とそうでない人間とにわかれる。

人間には得意と不得意があり、得意な人げにとってみればパラダイスだろう。

多くの女性や男性を捕まえたりして人生を謳歌することができる。

だが婚活以外のスキルがいかに高くても、対人スキルが乏しい人も数多く存在する。

そういう人間にとって見れば自由恋愛市場というものはコンプレックスを増大させ自己否定に走る元凶となる。

ここではクズのほうが有利となり、真面目である方が不利となる。

恋愛に長けている人間は恋愛だけをしてきている人が多い。

社会不適合者がモテることが多い。

逆転可能という聞こえがいい言葉もあるが、真面目に生きてきた人間が報われないというのはキリスト教における受難に耐える信者のような心境になる。

苦難の先に明るい希望があるかというと基本的にそんなものはない。

報われない人間はいつまでも報われずそして否定され続けるのだ。

顔が悪い、ルックスが悪い、年収が低い、コミュニケーション能力にかけている、ココが駄目、あれが駄目、しかも何が駄目なのかもよくわからないまま何十人と総当たりを行う。

時間が1年二年と経っていき、自分の年齢が結婚適齢期の限界に近づいていくのだ。

そこに更に焦りをおぼえる。

このような現状を打開するにはより効率的なシステムの導入が早急に求められる。

婚活業界における、料金体系もおかしい。

ただの成果主義でもなく、月額使用料を高くしているところもある。

こういった料金体系では成婚させるというインセンティブに乏しくなる。

婚活業者は会員数を増やすことによって自らの利益を拡大させることになり、成婚退会に導こうとする意識かけるだろう。

完全な成果主義であればより多くの婚活業者が真剣に行うであろう。

しかし最後の決め台詞は出会いはいつ訪れるかわからないためできないのだろう。

そうであるならば婚活アドバイザーは不要である。

必要なのは当人同士がいかにあっているかという客観的に示すデータだ。

指標を基に両者が会ってみればいいのだ。

婚活産業は今後も成長が見込まれている。

とはいえこれから同じことをし続けることはできない。

なにより過当競争化している。

一歩抜き出るためにも運用人数の削減やコストパフォマンスの改善、成婚率の増加が求められる。

他の業界とは違い率が低いのだから、2倍、3倍も可能となる。

一歩抜きん出きることにより堂々と数字をあげることもできる。

そして多くの入会者を獲得することも可能となる。

企業の存続のためにもIAの導入はしてほしいと思った。

ワキガ製品広告の酷さに思う

突然だが自分はワキガである。

正確に言うと軽度のワキガである。

何故かといえば耳はいつも湿っているし、自分自身で体臭も臭いと感じる。

また下着をきちんと洗っていても脇のところの臭いがいつの間にか取れなくなっている。

周りの人は相当感じているのだと思う。

とはいえ自覚しているので対策としてアックスの制汗剤スプレーとロールオンタイプのドラッグストアで売っているようなものを使用している。

外出する際にはさらに脇汗パットも使用している。

スーツ等に臭いや汗が移らないような対策をしている。

 

さすがに面倒になってきたためワキガ対策用品がほしくなってきた。

ネットで検索するとろくでもないものが多い気がする。

実際に効果があるものもたくさんあると思われる。

だが広告合戦が激しすぎる。

大体の高価な商品は独自のサイトのみで販売しているものが多い。

写真を多く使い、いかに効果があるかを喧伝し、内容が薄いようなサイトや魅せ方を自分では楽天方式と呼んでいる。

実に醜く、本当に何がいいのかわからない。

これはいいんじゃないかという程度しかわからない。

また別のサイトではこの製品だけはやめたほうがいいという対抗企業よるアンチマーケティングも行われている。

実際に使ってみたという消費者の目線からこれはいかにわるいかということを羅列している。

最後にいい商品として自社製品をおすすめしている。

本当に善意で書いた人もいるのかもしれない。

とはいえ多くのものが企業が作ったものやアフィ物乞いによるサイトだらけだ。

そのせいで消費者側は非常にわかりにくい。

 

こういった商品はなぜかアマゾンにはでてこない。

あったとしても評価レビューは荒らされている。

一ヶ月使用して5000円から1万円をこす製品もある。

なによりも独自のサイトを使用して販売しているに過ぎず、実際に価格競争にさらされているような商品ではない。

販売業者が設定している価格に過ぎず、実際に市場競争にさらされていない以上妥当性を検証できない。

 

ワキガ対策にとどまらず育毛製品とかでも発生している。

医療系に近い業界では往々にして起こっているような気がする。

泥の投げ合いが横行しているせいで消費者側に本当の情報が伝わりにくくなる。

そしてgoogleの検索対策をしているせいで余計に伝わりにくくなっている。

結果今のところ自分はこのままでいいかと思っている。

策略に乗るような気がして嫌になってしまう。

労働賃金が上昇しない理由

毎年春闘が実施され、大手の賃金上昇の結果が報道されている。

日本では特に年一回のこの春闘が大事であり、自分の努力だけではどうにもならない賃金体系という根本部分を上げてくれるということで評価されている。

とはいえこれだけ社会が発展してきてgoogle等の会社では社員数自体が少なくなってきている。

日本の労働環境も変化し続けており、昔ほど人数を必要としていない会社も多くなってきている。

これは労働力を馬力として考えていた時代ではなくなってきたことにある。

つまり1人区=いくらという公式があてはまらなくなりつつある。

社会が多様化していくなかでこういった形態をもった企業も多くあるだろう。

だがしかし労働にかんしては今も昔と殆ど変わっていない。

工事現場やIT業界等は未だに1人区=いくらで計算されている。

また見積もりを見る側もそのように見ている。

しかしこのことが賃金上昇を阻害している要因だと思う。

1人区=いくらとして決めてしまうと労働者の給与もその範囲から逸脱することができない。

必然1人区=いくらで決めてしまっているため、多く人数をかければいいものができるという考え方にもなる。

その結果短期間に多くの人数を投入してすばやく仕事を完結させるような無茶な要求を飲まざる負えなくなる状況も発生する。

労働人口が減少しておりどこの業界でも人手不足が叫ばれている。

しかしよくみてみると多くは1人区=いくらという考えに縛られた業界が多い。

もちろん派遣等を使って仕事をするような工場等の仕事は1人区=いくらでいいだろう。

しかしもっと成果物料金体系へ移行する必要があると思う。

 

古い話になるが下記の話題があった。

blog.tinect.jp

人工減少に伴う経済の縮小や年金等の問題について世間で言われていることに疑問を投げかけている記事である。

1人区=いくらの発想は役所にも蔓延している。

とくに世界的に有名な戦略家を日本に呼んで講演させても1人区=いくらという金額を払うという馬鹿げた話だ。

こういった人たちは一回の講演で100万単位という金額になる。

これはブランド品を購入するのと同じ感覚だと思えばわかりやすい。

その人が話をするという付加価値がある。

だからこそ多くの人がお金を払っても講演会に来るのだ。

賛否はあれどyoutuberという存在も付加価値に特化したものだろう。

その人のキャラクター性に多くの人が興味を持ち、投げ銭等を行う。

クリエイティブというのは全く新しいものを想像するのではなく、既存のものをいくつか合わせて付加価値をつけることも意味している。

建設業界やIT業界等本来付加価値をつけることができる業界であると思う。

1人区=いくらという発想で今後も企業を経営しようとすれば限界が来ると思う。

なぜなら人材を確保しようとすれば多くの賃金を支払う必要がある。

しかし1人区=いくらと売価を決定してしまえば利益が圧縮されてしまう。

企業にとって必要なことは永続性であり、その源は利益を投資に回すことで生まれる。

利益をあげることができなければジリ貧になるのは当然である。

そういった企業はどんどん廃業していくだろう。

日本のほとんどの企業は中小企業であり、一人親方という自営業者も多い。

多重構造は中間マージンが多く利益を減らしていく元凶ともなる。

1人区=いくらという料金体系から脱却をはかることで、自社でできることを増やせる。

それは資金の流出を防ぐとともに、人材の育成もできる。

そして自社ブランド構築の第一歩となる。

日本は長い間のデフレを経験してきた。

だからこそ転換を図らなければ今後企業の存続も社員の雇用も難しくなってくるだろう。

こういった意味でも今後労働者の2極化は止まらないと思う。

労働者も企業に雇われているというだけではなく、市場等の動向をみて自らの立場を柔軟に変化させることが求めれると思う。

 

ホストからみる自信についての雑感


現代ホスト界の帝王が語るブスの定義とは?ROLAND-完全密着- vol.012」 [KG-PRODUCE]

 

YOUTUBEみていたら検索に引っかかってみていた。

とにかく自分大好き人間であることが伝わってくる。

自信に満ち溢れた姿に女性はときめきを感じるのかもしれない。

女は自分が最高だと思っている男に惚れるような気がする。

自分に自信がないために自信のある人をみると惹かれるものがあるんだと思う。

よくDV男とか社会不適合者とかに惹かれるのは女が受動的な立場にいたいと思っているからなのかもしれない。

自信は自然と沸きあがあるものではない。

最初から持っている人がいる一方で多くの人は試行錯誤しながら身につける後天的なものだ。

そのため人生で色んな経験を自らの糧とできるようにアンテナをはり、チャレンジしていくことが自信につながると思う。

だが女性だからという制約によってしなかったりするのは結局自信にはならない。

失敗して反省し積み重ねや気付きによって自信は生まれてくる。

自信のある人にくっついていても自分にはついてこないのだ。

まぁこういうのは男にも言えるけど…

婚活について

もうどうしたらいいか分からない。

3年近くしているが成果はあがらない。

同じことをバカの一つ覚えのように繰り返すだけだ。

 

30歳 、年収についてはどうにもできない。

400あるが婚活市場ではスタートラインまたは足切りラインに過ぎない。

顔や身長についても同様である。

清潔感については気を使っている。

服はジャケットにYシャツ、チノパンを着ている。

歯並びは矯正できなかったので見た目は悪いが、定期的に歯石除去をしている。

髪はワックスとか使用してはいないけど、美容院で切ってもらっている。

腋にの匂いを抑えるためにデオドラントを塗り、スプレーもかける。

コミュニケーション能力は正直低い。

とはいえ話すことができないほどひどくはない。

相手に質問したり、できる限り話を広げようとはする。

しかし相手にとっては低次元の話と言われればぐうの音も出ない。

太っていなければ基本的に会うようにしている。

後は養子は断る。

条件はルックスもふまえても少ない。

 

世の中報われないことが多い。

報われないことが通常ではある。

とはいえ何かためになったということはなく経験値は全く貯まらない。

人によって見る視点が違う。

結局何が悪いとかない。

運がないことに全ての元凶がある。

金をかけた博打をしているに過ぎない。

 

自分は他者より劣っている。

ルックスとかコミュニケーション能力とか他者と関わるものに関して劣っている。

その代わり仕事において優秀さを発揮する。

トップに立つ器ではないが、2番手として部下の教育も含めて評価されている。

しかし便利なおっさんに過ぎない。

優秀だと評価されても、いざいなくなったとしても致命傷とはならない。

不満は噴出するだろうが業務が停止するには至らない。

人には得手不得手がある。

たまたま自分は恋愛といったことが苦手であった。

苦手を克服しても平均以下で終わるだけだろう。

全く自分がコミュニケーションを上手にできるイメージがわかない。

婚活をしないほうが人生が豊かになるような気がする。

プライベートの多くの時間と労力を投じて精魂尽き果てる。

とはいえ便利な道具として終わるのは寂しい。

誰かに必要とされたいし、誰かの必要とされたい。

女性婚活者に思うこと

婚活をしている中で思うことがある。

多くの女性が主体的な行動をとることがないことだ。

の結果男性は主体的に行動せざるを得なくなる。

そして同時にいつもよくわからないまま断られることが多くなる。

女性に主体性がないために、選ぶ権利はいつも女性側にある。

これは通常の恋愛においても同様である。

しかしながら婚活における女性の立場は通常とは異なる。

それは女性が多くの男性をサイトの中から任意に選び出すことが可能という点にある。

一般的な女性は狭い範囲の中で男性を選ぶしかない。

そしてまた選ばれた男性側にも狭い範囲での交友関係により、互いに別れることができない事情というものも発生する。

そのため好きであるが、同時に好きでもないけれども付き合えるという状態も発生する。

長く付き合っているうちに相手に対する情などが生まれ、別の意味での愛の形を生まれるのかもしれない。

また恋愛関係に至る過程で、相互に情報を得ることや思い出等を構築することができる。

しかし婚活における女性は相手の年収やルックスそして細かい点などいくつもの要素を比較検討することが可能となる。

前にいた男性と今の男性を比べたりより良い条件を選び出すということも可能となる 。

その結果女性自身は様々な男性と会っているうちに自らの価値観を高める傾向もある。

恋愛における男女が婚活市場において結ばれる可能性が非常に低いのもこのような点からもわかる。

一般的になんと女性に比べて 婚活における女性の年収やルックスに対する評価の価値観はおおよそ2倍から3倍になると言われている。

そのため多くの男女が些細な相違点によって結ばれることがないことが発生する。

しかし完全に一致するというものもまずない。

人間である以上相違があるのは当然である。

そしてデータと本人の差異が発生することをまた然り。

そのため恋愛に比べて余計に婚活における付き合うまでの工程、また結婚するまでの工程がいばらの道となるの必然となる。

 

恋愛工学というものがもてはやされている。

かつて批判はあったものの未だに多くの男性が恋愛工学に基づき女性を手に入れようとする傾向は否定できない。

なぜなら女性側が男女平等と言う社会一般における権利を主張しながら、恋愛においてはなぜか男性側に主導権を求める傾向があるからだ。

それは女性におけるロマンチズムの体現でもあり、同時に男性の欲望を満たすためのツールでもある。

恋愛においてきまった書式はない。

しかしながら多くの女性は付き合うことや結婚にすることに対して 男性からの告白を求めたり男性からのアプローチを求める傾向がある。

よく女性は城に例えられ、男性は兵士に例えられる。

落とされたことのない城に対する価値は高いが、城を落としたことのない男に対する価値は極めて低いものである。

男性側の気持ちは分からなくもない。

多くの女性に振られそして多くの女性から見向きもされない状況がある。

そこで恋愛工学を使うことになって女性を自らの犬は麻理コントロールできるという魅力は非常に大きいものである。

なぜなら女性多くの女性は男性からのアプローチを待っている状態なのである。

男性側のアプローチがゲットをすればしようと思う気持ちが強いほど、恋愛工学といったようなものに入りやすくなるのは必然である。

旧態依然とした恋愛日常においてこのような女性の価値観というものはマイナスでしかない。

男女平等の時代において女性からのアプローチをしないということは、自らの主体的な人生を歩もうという意思にかける。

同時に、女性の主体的な行動が阻害されることによって多様な価値観を生む土壌を阻害する。

そして恋愛における多様な価値観や主体性を失わせること それは貧弱化を意味する。

#MeTooなどに代表される女性における性被害に対して女性側主体的な行動をとっていないという恋愛市場における現状が 重なり合って 問題を深刻化させている。

女性がこれだけ社会性を持ち様々な業界に進出する状況において女性が自らにおいて 自らの人生を歩もうという意思がなければ、既存社会に巣を作っている男性の餌食となる。

固定化した恋愛の形にこだわるこだわり続けている。

それが少子化や女性に女性に対する 犯罪行為の元凶ではないのかと思う。

北朝鮮に対する日本の防衛政策

初めてICレコーダーをgoogleのドキュメントに音声入力しました。

推敲しましたが読みにくい文章となってしまった。

 

北朝鮮に対する攻撃において一番最善なのは中国による北朝鮮北朝鮮に対する侵攻である。

韓国にとってソウルに対する攻撃の可能性を減ずることになる。

日本とアメリカに対しても北朝鮮の核による脅威が減少する。

表面的には韓国を批判をするだろう。

しかし中国による北朝鮮非核化のための部分的な侵攻が最も好ましいものである。

これは米中戦争の可能性を減少させることにもなる。

 

第二に良いいのは韓国米国日本の連合による北朝鮮侵攻及び中国による侵攻である。

これは北朝鮮による反撃を最小限にするとともに、当方における戦力を最大化を図ることができる。

先制攻撃はソウルに対する攻撃を極小化させることもでき韓国政府にとってのメリットは極めて大であると考えられる。

だがこの可能性は各国による事前調整が必要である。

特に中国が北に侵攻することは米中戦争の段階的な戦線の拡大も引き起こしかねない危険な賭けにもなる。

同時に中国から北朝鮮に対して警告がある可能性も否定はできない。

また韓国政府は北朝鮮との融和による統合を目指していることもある。

そして何より韓国人は北朝鮮に対する攻撃の意思が感じられない。

事前に4カ国同時侵攻の可能性に関しても検討できていない状態でもある。

日本はこのことに関して朝鮮半島における反日の状況から朝鮮半島に対して影響力を反映させることもできない。

そのため日本による後方支援がメインとなる。

よって日本の攻撃力は北朝鮮に対して積極的に向けられるものではなくなる。

戦力の最大化といっても米軍か、可能性があるとすれば中国による軍が主体となる。

 

第3に望ましいのは日本もしくは米国による北朝鮮に対する先制攻撃である。

これは北朝鮮核兵器施設及び核関連施設に対する先制攻撃によって北朝鮮の核製造の保有能力を奪うための作戦である。

政治的効果を限定し同時に北朝鮮による報復を呼び込む可能性を減少させることもできる。

しかし第二朝鮮戦争勃発の引き金にもなりかねないので韓国政府は許可を出すとはとても思えない。

やる価値があるかどうか政治家に確固たる意志があればこれは可能になる。

だが日本が先制攻撃を行う可能性はほぼ等しくまた憲法制約上という文言によって日本は今まで平和国家という事象をしてきたそのためその衣を脱ぎ捨てることは現時点で果たしてできるかどうかは不透明である。

よって可能性がでてくるのは米軍による北朝鮮に対する先制攻撃となる。

そして北朝鮮核兵器関連施設破壊の最も可能性としては高く上がる。

だがしかし米軍による北朝鮮の核施設の攻撃は全て破壊しているかどうかというのはどうかという確証はない。

また破壊した施設が全てであるという保証も何もない。

ただ確実に言えることは北朝鮮の核開発を遅らせることができる。

そして当面の危機を回避させることができる 。

過去にイスラエルのイランに対する核関連施設の破壊により核開発を遅らせることができた。

しかしそれは数年であるという報道がなされている。

しかしここにきて開発を制限することで、またもしだためしても北朝鮮の核がより勢いが減少することとなる。

以上の観点から先制攻撃が最も有効であると感じられる。

 

しかし一番最悪といってもいいのが北朝鮮による攻撃を対応するということである。

これはソウルに対する全面攻勢および日本の米軍施設及び自衛隊の施設、そして首都に対する核攻撃を含めた弾道ミサイル攻撃を行われる。

また同時に北朝鮮工作員によるインフラ破壊工作も同時に行われ極東における混乱は極大化する。

その場合金正恩が外に逃げられという可能性ももちろんある。

金正恩がどこかへ落ち伸びるために北が先制攻撃を加えるという可能性が最も濃厚である。

金正恩の個人による独裁である以上金正恩の命が国家よりも優先されるのが必然である。

そしてそのために国家を道連れにするのは金正恩にとってみれば当然の権利とも言える。

中国に対して北朝鮮は難民に紛れて金正恩が亡命する可能性もある。

この場合中国の対応が後手に回る。

中国政府は北朝鮮に対し難民を抑える意味でも中国軍を派兵する可能性があることはフォーリンアフェアーズリポートからでも指摘されている。

また中国の難民抑止に伴う派兵によって米中戦争の勃発にもなりかねない。

米軍の北に対する侵攻は韓国軍とともに行われる。

韓国軍の戦力はソウル攻撃に際しかなり減少すると思われる。

そして仮に減少しないにしてもすぐにソウルに対する攻撃が行われることによって指揮中枢系統が混乱をする。

韓国政府と軍の指揮統制が混乱を極めることは明白である。

そのためアメリカには韓国軍を有事の際に指揮できる権限はある。

しかし実際にそれが運用できるかどうかは不透明である。

それは韓国軍が米軍の米軍の指揮管制に返事では入ってはいるが戦時の際にその命令が有効に伝達されるかどうかはやってみなければわからないことでもある。

朝鮮半島において戦争をするという行為は70年以上できていない状態にある。

そのため韓国がいざ北朝鮮と戦争となった時に韓国軍は政府の間違った情報により北朝鮮との融和もしくは北朝鮮との和平交渉何を行おうとする意思があったとする。

その場合韓国軍としては政府と米軍による北に対する侵攻との間に挟まになる可能性も否定はできない。

もちろんこれは極めて小さい可能性ではあるが否定できない。

韓国政府が北朝鮮に対する宥和政策を実施している。

そして経済制裁をしているにもかかわらず韓国政府は北朝鮮に対し経済援助を極秘裏にまた非合法的に行おうとしているときもあり発揮して信用ができない。

そのため日本政府にとって大事なことは北朝鮮問題に関して言えば中国による北朝鮮の核関連施設及び核施設の破壊を促す行動をとらせるように外交交渉によって図ることである。

もしくは日本単独か米軍と協調し北朝鮮の核関連施設を破壊することである。

日本にとってこの能力はないとされてはいる。

しかし実際に日本の自衛隊の装備は十分に可能な能力を有している。

またそれを実行できるであろう。

しかし大問題なのは先ほど述べた通り北朝鮮の核関連施設が全て判明しているかということである。

そしてきちんと航空機が そこまで到達できるかどうかと言うならや不透明である。

米軍は同じような事を何度もしている。

そのため実施は容易ではある。

自衛隊の場合、海外に対処すること自体が自衛隊という組織が誕生してから初めてのこととなる。

これは攻撃作戦でありその攻撃作戦は公式には今まで一度も行われたことがない以上自衛隊の能力発揮に関して不透明である。

自衛隊は訓練においては世界のトップクラスと言う人はいる。

しかしあくまで訓練であり実践とは異なる。

そして何より問題なのは日本単独で行った場合、仮に核関連施設及び核施設破壊できたとしても韓国と北朝鮮による第二次朝鮮戦争勃発という可能性がある。

その後発生する難民に対しては日本は受動的立場に甘んじることになりそのことに関し日本は介入することができない。

日本に対して求められることは難民に対する受け入れを拒絶する。

もしくは追い返すなどの法整備を進めること一貫したガイドラインの策定及び 民間に対する啓蒙活動そして朝鮮半島に対し自衛隊の介入の度合いを明確化しデッドラインを設けることである。

これを達成しなかった場合自衛隊朝鮮戦争に対し陸上自衛隊の派兵を要求するかもしれない。

この可能性はほとんどないとは思われるが可能性としては否定はできない。

何より韓国政府は負けに負けこしている場合、藁にもすがるような思いで自衛隊の派兵を要請してくる可能性がある。

日本として派兵行為を行った場合、憲法九条という規定は吹き飛ぶと事となる。

どこまでが 自衛隊にとっての管轄なのかという感覚であり、政治家の判断する領域となる。

もはや憲法という制約が存在しなくなる。

厳密にてしまえば日本国憲法自衛隊の存在すらも許していない状態である。

あくまで政府の見解によって自衛隊の存在が許されている。

しかしもはやこれは憲法として機能していないに等しい。

自衛隊の存在を明記せず、そしてなにより防衛力とはなんぞやという事に関し日本の政治の中で統一した見解が得られていない以上、その場の判断が優先されそしてそれが事後法になろう極めて危険なことでもある。

変な前例が作られば今後日本は紛争に介入する可能性もありうる。

そしてそこに国益という最も重要である概念が置き去りにされる。

前例に基づいた派兵が行われる可能性をしてあげる。

日本は今後北朝鮮問題に対し数年のうちに決着をつける必要がある。

北朝鮮保有能力による脅しが本格化する前に、そして弾道ミサイル核兵器が搭載される前に本当行わなくてはならない。

北朝鮮は既に核兵器保有しておいてそしてそれが担当に組み込まれる可能性を指摘されている。

リポートでは核弾頭は60発程度すでに北朝鮮にあると指摘されている。

そしてそれが弾道ミサイル SLBM、ISBNには搭載できるであろうということが指摘されている。

もはや日本は核の攻撃圏内に組み込まれている。

ICBM弾道核兵器搭載は数年後10年以内であるということは想定されている。

このためにアメリカにとってみれば近々の脅威であるが、自衛隊そして日本にとってはもはや現実として頭上に核が落とされるということを想定しなくてはならない。

はっきり言えば弾道ミサイルに対する日本の防衛政策といえば、一発撃たれてからのことになる。

それは受動的である。

戦争において防御というものは最も弱い形態のものである。

自衛隊がその理念の専守防衛を歌っている。

そして政府もそれを考えてはいる。

だがしかし核兵器は一発でも起動してしまえばあっという間に何十万人が死傷する。

首都に投下された場合百万人以上が死傷することになる。

そのため日本はイージス艦PAC3など防衛能力の向上を目指してはいる。

だが最も確実なのは発射台に置かれている核兵器搭載の弾道ミサイルを発射される前に撃滅することである。

日本の国益を考えるならば、憲法だけが残り国家が消滅する事態を避けなくてはならない。

そのため北朝鮮に対する攻撃はどのような形であれ実施されることが日本にとっては一番望ましいと思われる。